2006年 02月 09日
【MotoGP】同着
うわっ! MotoGP公式サイトがまた懐かしいネタを!

motogp.com : 写真判定 (2006/02/07)

記事中には以下の8レースが取り上げられている。


 96年第11戦チェコGP500ccクラス:優勝A.クリビーレ‐2位M.ドゥーハン 0.002秒差
 00年最終戦オーストラリアGP250ccクラス:優勝O.ジェック‐2位中野真矢 0.014秒差
 04年第13戦カタールGP125ccクラス:優勝J.ロレンソ‐2位A.ドビツィオーソ 同着
 05年第3戦中国GP125ccクラス:優勝M.パシーニ‐2位F.ライ 0.065秒差
 05年第13戦マレーシアGP125ccクラス:優勝T.ルティ‐2位M.カリオ 0.002秒差
 05年第15戦オーストラリアGP250ccクラス:優勝D.ペドロサ‐2位S.ポルト 0.027秒差
 05年第16戦トルコGP250ccクラス:優勝C.ストーナー‐2位D.ペドロサ 0.098秒差
 05年最終戦バレンシアGPMotoGPクラス:優勝M.メランドリ‐2位N.ヘイデン 0.097秒差
 (motogp.comより)


昨年、一昨年の6レースは当然として、残りの2レースもよ~く憶えてる。どちらも強烈な印象を残した歴史的なレースだった。
思い出したら当時の興奮や熱狂、驚嘆、失望がふつふつと蘇ってきたので、せっかくだから勢いのままに書き殴っておこう。

#うろ覚えで書くので間違ってたらゴメンなさい




2000年 オーストラリアGP 250ccクラス決勝

2000年のオーストラリアGP、250ccクラス決勝は、日本人として忘れようにも忘れられないレースだ。なぜなら、我らが中野王子がほぼ掌中に収めていたはずの世界タイトルが、僅か100分の数秒の差で指の隙間から零れ落ちていったレースだったからだ。

オーストラリアGPを迎えた時点で、チームメイトであるジャックと中野のポイント差は僅かに「2」。つまり最終戦を勝った方がチャンピオンという状況だった。
そして迎えた決勝レースは、予想通り中野とジャックの一騎打ちとなった。直前の2戦を連勝した加藤大治郎さえも置き去りにする、2人だけの戦い。互いに一歩も引かない2人の勝負は、まるでシナリオが用意されていたかのように、最終ラップの最終コーナーにまでもつれこんだ。
最終コーナーに先に進入したのは中野。しかしジャックがピタリと真後ろにつける。フィリップアイランドの最終コーナーは200km/hを超える超高速コーナーのため、スリップストリーム効果が大きい。案の定、コーナーを立ち上がった時にはすでにジャックが中野の横に並びかけていた。
果たしてフィニッシュラインを先に通り抜けたのはジャックだった。その瞬間、恐らく日本中で悲鳴が起こったはず・・・

フィニッシュした直後、オレッチもTVの前で「あ゛ぁ」とも「の゛わ゛ぁ」とも何とも言えない嘆息と失望の声を上げながら頭を抱えたことを憶えている。でも不思議なことに、98年に原田がタイトルを“奪われた”時はもちろん、99年に岡田が初代日本人最高峰クラス王者になり損ねた時と比べても、それほど悔しさというのは感じなかった。
もちろん悔しいことは悔しかったのだけど、悔しさ以上に、素晴らしいバトルを演じてくれた中野とジャックの2人に対する感謝というか、いいものを見たなぁ、という爽快感と言うか、なんかそういう気持ちの方が強かったからだと思う。
なぜなら、2人の最後の大バトルは稀に見るクリーンでフェアなファイトだったからだ。

そういう意味もあって、このレースは記憶の中にいつまでも鮮明に残ってるんだろうねぇ。

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勝っても負けても恨みっこ無し!
[Photo (C) oj19.free.fr]



1996年 チェコGP 500ccクラス決勝

96年のチェコGPは、ロッシの記念すべきGP初優勝の舞台であったことと同時に、いまなお、最高峰クラス史上最小のタイム差で決着のついたレースとして記録されている(はず)。

レースはスズキのラッセルのリードで始まった。ドゥーハンがレース中盤にラッセルをパス。出遅れたクリビーレもラッセルをパスし、ドゥーハン追撃を開始する。
追撃途中でクリビーレが何度かミスを犯して多少ギャップが広がる場面もあったものの、その都度クリビーレが驚異的な粘りで盛り返して、レース終盤は完全なテール・トゥ・ノーズ状態に持ち込むことに成功した。そしてやはり最終ラップの最終コーナーの攻防が、勝負のポイントになった。
ブロックラインをとるドゥーハンにアウトからクリビーレが襲い掛かる。2台ほぼ横並びでコーナーをクリアしていく。フィニッシュラインまでは残り数百メートル。勝負は短いストレートでの加速勝負になった。でも2人のマシンは同じホンダNSR。マシンの加速性能に差は無い。2台はそのままもつれ合うようにフィニッシュラインに雪崩れ込んだ。

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もつれ合うようにフィニッシュ。勝ったのはどっちだ!?
[Photo (C) dorna]


目視では同着。まったく差はない。両者とも自らの勝利を確信できないまま、沸き返る大観衆に戸惑いげに応えつつ、クールダウンラップをまわってピットに帰ってくる。
そして写真判定の結果、僅か千分の2秒差でクリビーレの勝利が確定した。

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同着!? いや、わずかにタイヤのリム差でクリビーレだ!
[Photo (C) motogp.com]


こうしてレース展開だけ思い出しても、このレースの興奮が鮮明に蘇ってくる。
だけど、そこに至るまでの背景を思い起こすと、同着という結末がよりドラマチックになってくるんだなコレが。

この当時、ドゥーハンは94年、95年と連覇を果たし、ホンダの大エースとして君臨していた。一方クリビーレは94年にワークス・レプソルに加入。先輩ドゥーハンは若く熱心なクリビーレを可愛がり、クリビーレもまたドゥーハンを慕い、2人は言わば兄と弟、師匠と弟子といった関係を築いていた。

とは言っても、そこは厳しい勝負の世界のこと。ドゥーハンの薫陶を受けてメキメキと実力をつけてきたクリビーレは、やがて師匠ドゥーハンに果敢に挑みかかるようになる。遂にはドゥーハンの王座を脅かすほどの存在に成長してきたことで、両者の関係は次第に変化していった。
それは、王者ドゥーハンが、クリビーレはもはや弟分ではなく、一人の強力なライバルに成長したことを認めたことを意味していた。

そんな両者が遂に王座を巡って激突したのが、この1996年のことだった。
シーズン前半、ドゥーハンにあと一歩というところまで迫りながら、なかなか勝利をあげることができずに苦しんでいるたクリビーレは、シーズン中盤になってようやく互角以上の速さを発揮し始める。
時折、同じNSRに乗るカダローラも交えながら、2人は毎戦のように激しいバトルを展開した。
そしてシーズンも終盤へと差し掛かった第10戦オーストリアGPで、ついにクリビーレはドゥーハンに土をつけることに成功する。それは、カウルをぶつけ合うほどの激しいバトルの末の勝利だった。

すでにポイントでは大量にリードされているクリビーレにすれば、念願の初タイトル獲得のためにはもう1戦も落とすことはできない。オーストリアに続いて次のチェコでも勝って、タイトル奪取に勢いをつけたいところ。
一方、破れたドゥーハンは、クリビーレをこれ以上調子づかせないために、次のチェコでは再び圧倒的な力量差を見せつけて叩きのめし、クリビーレの思い上がりを打ち砕きたい。
そんな2人の意地と思惑がぶつかりあったのが96年のチェコGP決勝であり、そして1000分の2秒差という劇的なゴールが、その結末だったというわけ。

なんかもう、まるでスポ根マンガの世界でしょ。思い出すだけで興奮してくる!
当時の興奮をうまく伝えられない己の稚拙な文章力がホントもどかしいくらい、本当に熱い、素晴らしいシーズンでありレースだった。

この年の最終戦、イースタンクリークで開催されたオーストラリアGPの結末もとてもドラマチックだった。
タイトルはすでに2戦前のカタルニアでドゥーハンのものになっていたけど、2人の熾烈なバトルはその後も終わることなく、最終戦の最終ラップまで続いていた。
最終コーナー手前の右ヘアピンに先に進入したドゥーハンのインに、テール・トゥ・ノーズで追っていたクリビーレが強引に割り込む。そして接触。両者転倒。
目を合わせることなく転がったマシンへと駆け寄る2人の脇を、漁夫の利を得たカピロッシのマールボロ・ヤマハが、最高峰クラス初優勝となるチェッカーに向けて駆け抜けていく・・・

公式サイトのおかげで、当時の熱い興奮を再び味わうことができた。
たまに変な日本語訳があったりしておマヌケなこともあるけど、これからもこんな面白い企画記事を期待してます。

















いや、ちょっと待て。

「同着」と言えば、世界ではなくて国内のレースだけど、上の2つのレース以上にもっと凄いレースがあったじゃないか。

1992年 全日本選手権 第6戦 鈴鹿 250ccクラス

あれは今からもう14年前の1992年。
日本が誇る2人の天才、岡田忠之と原田哲也。彼らが死闘と呼ぶにふさわしい最後の戦いを繰り広げたのが、1992年の全日本250ccクラスだった。
岡田は前年まで全日本250ccクラスを3連覇。翌年に世界GP参戦を控え、国内記録となるシリーズ4連覇で有終の美を飾ることを目論んでいた。一方、岡田の後塵を拝し続けた原田は、これが最後のチャンスと雪辱に燃えていた。
ファンの期待はシーズン開幕前から否が応にも盛り上がっていた。

ところが、いざ蓋を開けてみると初戦MINEは生憎の天候不良でキャンセル。さらに実質的なシーズン幕開けとなった第2戦の筑波は、原田が転倒してリタイアし、岡田が難なく勝利を手にする。
2人の熱い戦いを期待しいてたファンは肩透かしを食らうシーズンの滑り出しとなってしまった。

しかし、ファンの予想を超える熱狂と興奮はその後に待っていた。

第3戦、菅生。シーズン最初の2人の大バトル。レースは接戦を制した岡田が筑波に続いて勝利した。しかしフィニッシュラインをくぐった時の両者の差は僅か0.002秒しかなかった。

第4戦、鈴鹿。タイトル奪取のためにはシーズン序盤でこれ以上離されたくない原田。開幕3連勝で勢いをつけたい岡田。2人は再び大バトルを演じた末に、鈴鹿が得意な原田が岡田を破ってシーズン初優勝。2位岡田とは0.520秒差の勝利だった。

第5戦、筑波。筑波育ちの岡田はここで負けるわけにはいかない。地元の意地で原田を押さえ込んだ岡田が、0.074秒差でシーズン3勝目をあげる。

ここまで岡田3勝、原田1勝。ポイントは岡田76点、原田52点。シーズン前半は予想に反して岡田が大量のリードを築いた。でも、原田が転倒した筑波を除く3レースでの2人の合計タイムの差は、僅か0.444秒。しかもリードしているのは原田だ。
史上稀に見る大接近戦に、レースファンの興奮は頂点へと達しつつあった。

そして迎えた第6戦、鈴鹿。ファンの興奮は絶頂を迎える。

毎戦のように繰り広げられる、岡田と原田、二人だけの至高のバトル。この日も2人は例のごとく大バトルを演じ、並ぶようにしてフィニッシュラインを駆け抜けた。超接近戦の大バトルも、2人が縺れ合うように駆け抜けるフィニッシュ・シーンも、もはや見慣れた光景だった。でも、ただ1点だけ違っていることがあった。

この日の2人のタイム差は、0.000秒。

完全な同着。写真判定でも決着はつかなかった。

結局、両者同着優勝扱いとなり、

2人で表彰台の真ん中に立った。

そして両者には、フルポイントの20点が与えられた。

翌第7戦でも2人は接近戦を演じ、勝った原田と2位岡田の差は僅か0.001秒だった。

5レースで約500kmの距離を走って、その差がわずか0.445秒。
これを究極のバトルと呼ばずして何と呼ぶ!?

翌年、2人はともに世界GPへと旅立ち、一大センセーションを巻き起こす。その前年に2人が演じてみせたレース史上に残る究極の戦いを思い起こせば、それは当然の帰結だったんだろう。

シーズンはその後、あっけない幕切れを向かえることになった。
第8戦の富士で岡田が転倒して負傷。続く2戦も欠場したことが響いて、タイトル争いから完全に脱落。原田は実にあっけなく、念願の初タイトルを獲得することとなった・・・・




以上、長文におつきあいいただき、ありがとうございました >読んでくださった方々

あ~、久しぶりにたくさん書いてちょっと疲れた・・・



1992年の鈴鹿のレースは「鈴鹿同着」というタイトルでセル・ビデオになってます。レースが完全ノーカットで収録されていて、当時の興奮をそのまま味わえるはず・・・?
ただ、古いビデオだからもうAmazonとかにも売ってません。欲しい方はブックオフとかで探してみてください。もし見つけたら即ゲットしましょう!
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by oretch | 2006-02-09 02:49 | MotoGP

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