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2004年 12月 31日
2005年も宜しくお願い申し上げます
2004年中にこのblogにお立ち寄りいただいた皆さんへ

別に誰に何かを伝えたいでもなく、備忘録代わりに気軽にはじめたblogですが、
いつからかコメントをいただいたり、トラックバックしていただいたり、
思わぬコミュニケーションが生まれて、驚くと同時に、とても嬉しかったです。
blog始めて良かったです。

いろいろグチだか思い込みだか何だか訳の分からない投稿ばかりで、
たぶん来年もマイペースで代わり映えしないかと思いますが、
ちょっとフライングではありますけれども、2005年も宜しくお願い申し上げます。

ということで、年始用トップイメージに衣替え。

みなさん、良いお年を!!
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by oretch | 2004-12-31 01:05 | 雑記

2004年 12月 31日
【MotoGP】2004年シーズン・レビュー
年の瀬ですなぁ。
ということで、まだ済んでいなかったシーズン総括を、
年末らしく10大ニュース形式で振り返ろう。

1位 ロッシ、ヤマハ移籍初年でチャンピオン。最高峰4連覇!
これしかないでしょう。当然の1位。決して三味線を引いているわけでもなく、本人も移籍1年目でのチャンピオンは無いだろうと思っていたようだが、蓋を開けてみれば改めてV.ロッシのレベル違いの凄さを思い知らされたシーズンだった。そして同時に、2輪レースは、たとえマシン性能が劣勢であっても、ライダーの技量次第で結果を覆すことが可能な“マン・スポーツ”であることを再認識させてくれた。
CHE SPETTACOLO!!

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Photo (C) Yamaha Motor Co.


2位 結局納まるところに納まった、ロッシvsホンダ痛み分け
今年もRC211Vは最強だった。ライダー・タイトルはロッシ、メーカー・タイトルはホンダ。マシンのおかげで勝てていたのではないことを証明したロッシ。マシンのポテンシャルは依然最強であることを証明したホンダ。結局、どちらの面子も立つ、実に円満な結果でした。

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Photo (C) Yamaha Motor Co.


3位 玉田2勝!これからは常に“優勝候補”だ。
我等が玉田が、ロッシ(9勝)、ジベルナウ(4勝)に継ぐ2勝をマーク。ロッシとのギャップは大きいけれど、堂々世界のトップライダーに仲間入り。日本人の最高峰クラス優勝回数更新なんて記録はもはや意味なし。日本人初の最高峰クラス王者誕生の夢に確実に一歩近づいた。行け、玉田!

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Photo (C) Honda Motor Co/


4位以下>>>
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by oretch | 2004-12-31 00:37 | MotoGP

2004年 12月 30日
【MotoGP】時速300kmオーバーの世界
28日に発売された「GrantTurismo4」に現在ドップリとはまっているわけですが。

周りからはガサツだなんだと言われながらも、これで結構几帳面な性格なので、
まじめにライセンス取得からコツコツとやってるわけですが、
#コーヒーブレイク難しくて全然ブレイクになってねーじぇなねぇか
昨日のニュルに続いて、今日は国際A級ライセンスの卒業試験で
ルマン24時間耐久でおなじみ、サルテ・サーキットを走った。

教習内容はいたって単純、「アクセル全開ユーノディエールぶっ飛ばし」。
しょせんゲームなので、リアルな世界と同じではないけども、

300km/hオーバーの世界って、やっぱスゴイ。というか、恐い。

恐怖を感じるほどリアルな表現力のTVゲームがスゴイのか?
バーチャルなゲームからも恐怖が伝わってくるほど
300km/hオーバーの世界がスゴイのか?

どっちか分からないけども、一つだけ分かったことがある。

300km/hで転倒して無事だった中野王子、
あんたはまさに“アンブレイカブル”だ


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“アンブレイカブル”中野真矢
Photo (C) Kawasaki Racing Team / Team Eckl

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by oretch | 2004-12-30 23:38 | MotoGP

2004年 12月 29日
聖地ニュルブルクリンクを走る
モーターレーシングの聖地の一つ、ドイツ ニュルブルクリンク。
モータースポーツ・ファンとして、いつかニュルブルクリンク旧コースを走るのが夢だった。

その夢が遂にかなった。
オレは、ニュルブルクリンクを走った。



・・・・・テレビゲームでね。

昨日、部の納会をパスして
帰りがけに近所のゲーム屋で待ちに待った「GranTurismo4」をゲット。
昨夜から3時間しか寝ずに現在ハマりまくり中。

今回のGTにはニュルをはじめ、鈴鹿、茂木、サルテなどの実在コースが大幅に追加。
勿論GT3、GT4プロローグに引き続いてラグナ、FISCO、筑波も健在。
モータースポーツ好きとしてたまらんて!

ガードナーやシュワンツやドゥーハンやロッシや
ファンジオやクラークやラウダやセナやプロストが
ここで数々の名勝負を繰り広げていたんだなー、と
プレイしながらついつい感慨に耽ってしまう。

それにしてもニュルブルクリンク(旧コース)は想像以上に凄いコースだった。
4輪はともかく、サーティースやヘイルウッドやアゴスチーニ達は、
こんなところでバイクに乗ってレースやってたのか・・・・
やっぱりGPライダーは頭のネジが飛んでるんだワ。

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これはF1。この急カントのコーナーもGT4には収録されてる。


現在順調にオールゴールドでライセンスをクリア中。
さて、年内にどこまで達成率をあげられるかな?



ライセンス取りで結構順調にゴールドが取れる。
GT4プロローグをさんざんやり倒したからか、或いは自分の腕が上がったのか。
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by oretch | 2004-12-29 21:29 | モータースポーツ

2004年 12月 29日
積んどくモデラー脱出
年内追い込み仕事だ忘年会だクリスマスだと急がしかったここ数日。
blog更新も滞らせつつ、ちょこちょこと時間を見つけては作業を続けて
やっと完成した。フゥ~。

1999年、浦和ユザワヤで購入して以来、5年の歳月を費やして遂に完成。


PENNZOIL NISMO G-R(R34) 1/24scale by TAMIYA

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今回は初めてクリアーコート、研ぎ出しなる技にも挑戦。
その甲斐あって、う~ん、いい艶だぁ~。
と思ったら、サイドミラーがまだ付いていなかった・・・・
ま、いいか。

この勢いで積んどくモデラーを脱出すべく、間を置かず次なるモデルに挑戦しなくては。
と、選んだモデルは、我が永遠のアイドル"ファスト"フレディーが、
"キング"ケニーとGP史上最高と言われる大激闘の末に
史上最年少の若さでワールドチャンピオンとなった記念すべき1983年の愛機。
HONDA NS500(NS2B)!!
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1年ほど前にヤフオクで入手した一品。
古いモデルなのでデカールが黄ばんじゃってたので、
カルトグラフ製なる高級なスペアデカールを購入。
今回は下地処理なる技にも挑戦すべく、サーフェイサーも買ってきた。

さぁ、果たしてオレは積んどくモデラーを卒業することができるのか?
今脱出しないと、せっかく買ったRC211VやRGVのデカールも黄ばんでしまうぞ!
頑張れ、オレ!



NS500ってば最近復刻されてたのね。
しかもデカールは標準でカルトグラフ製がついているとか。
ヤフオクで落としたのはなんのためだったのか・・・(T_T)
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by oretch | 2004-12-29 00:50 | ホビー

2004年 12月 28日
【MotoGP】ナンバーの話その3
(つづき)

長くなってしまった・・・・

現状では、前年ランキングに従ったナンバーはもはや有名無実化していることが判明。今更ナンバーがどうのこうのと書いても意味が無い気がしてきたけれど、一応最後まで書いておこう。これまでは何かしら思うところがあっても頭の中だけで完結して、その時その時感じたこと思ったことを、後で思い返したり更に考えを深めたりといったことが無かった。blogはそうしたことを可能にする便利なメディアだし、またその目的で始めたのだから、やっぱり最後まで書いておく事にする。


さて、今回は「なぜチャンピオンはチャンピオン・ナンバー[1]を着けて欲しい」のか本題を書くつもりだったけど、その前に一つ忘れてた。固定ナンバーとランキング・ナンバーのそれぞれの特長を整理してみる。固定ナンバー派、ランキング・ナンバー派、それぞれの主張をネットで色々調べてみた。まとめると、大凡次のようになる。

 ○ 固定ナンバー派
    → 個々のライダーのトレードマークとして、ライダーを認知しやすく、親近感が湧く。

 ○ ランキング・ナンバー派
    → 初めての人でも、どのライダーが速い(実力がある)のか分かり易い。


どちらもライダー個々の認知度向上のためと理由付けする点は共通している。まぁ、ナンバーの意味からすればそれは当然なんですが。異なっているのは、例えばより多くの人にレースに興味を持ってもらおうとした時に、どういうアプローチを取ろうとしているのか、その考え方、方法論なのだと思う。

つまり固定ナンバーは、まずライダーのパーソナリティの魅力を訴求して、それからレースの面白さに誘導するアプローチであり、一方ランキング・ナンバーは、そのライダーの位置づけや相関関係を分かり易く提示することで、はじめからレースそのものの魅力をも訴求しようというアプローチである、と言えると思う。

で、ようやく本題なんですが、ではオレッチはどちらのアプローチを支持するか?
オレッチは後者を選ぶわけです。

自分がWGPに興味を持った当時はどうだったかな?と思い出してみる。

自分が明確に記憶している最初のWGP体験は1985年。今は廃刊となった「サイクルワールド」誌で、ロスマンズ・カラーのスペンサーの写真を見た時の衝撃は今でも昨日のことのように憶えている。元祖固定ナンバーのB.シーンは前年引退していたので、当時はトレードマークと言えるような固定ナンバーを持ったライダーはいなかった。

だけど、すぐにライダーの名前とマシンは憶えられた。なぜか?

[1]を着けたチャンピオン、E.ローソンを筆頭に、実力者であるライダーは皆一律に“一桁”ナンバーを着けていたので、最初から“誰に注目すれば良いのか”が直感的に把握できたし、シーズンがどういう構図で展開されているのかをすぐに理解することができた。

[1]を着けて王座防衛に孤軍奮闘するE.ローソンに、[4]を着けた前王者F.スペンサーを筆頭とする、[2]R.マモラ、[5]R.ハスラム(レオンのお父さんね)、[7]W.ガードナーら“一桁”ナンバーの実力者を揃えたホンダ勢が襲い掛かる!
そうした構図がとても分かり易くて、すぐにWGPにのめり込めた。

また、当時はWGPの情報はほぼ専門誌でしか得られなかったものだけど、恐らく最近はレースに興味を持つ場合、まず映像から入っていくことが圧倒的に多いと思う。一方でライダー個々のパーソナリティに触れるには、この国では今も昔も活字媒体(ネットも映像というよりは活字に近いと思う)がメインであると思うので、そう考えると、誰に注目すべきで、どういう構図がそこに描かれているのかを、誰でもが直感的にすぐに把握できるということは、スポーツ観戦にはとても重要なことのように思う。また、ライダーの認知度向上効果の面でも、たとえ前年ランキング・ナンバーでも、実際にはそのシーズン中はそのナンバーに固定されているわけだから、固定ナンバーだろうとランキング・ナンバーだろうと差はないだろうとも思う。

そう考えた結果、ゼッケン・ナンバーは前年ランキングに従ったナンバーの方が良い、というのがオレッチの主観的結論になるわけです。

そしてようやく、チャンピオンはチャンピオン・ナンバー[1]を着けるべきである、という最初の話に戻るわけです。ハァ、長かった・・・・

ただ、「チャンピオンは[1]を着けるべきだ」というのは、誰に一番注目すべきなのか、誰がGPを支配しているのか、ということを誰にも分かり易く認知してもらうため、という実際的な理由だけではないのです。

なぜなら、やっぱりチャンピオン・ナンバーには他のランキング・ナンバーとは異なる特別な思いがあるからです。王がその権威権力を誇示するために冠を頭に戴くように、王者であるチャンピオンには、チャンピオンとしての象徴となる何かが、他のライダーを奮い立たせ、観る者に畏敬の念を抱かせる、チャンピオンしか手に入れることのできない目に見える特別な何かが必要だと思うわけです。
そしてそれは、チャンピオン・ナンバー[1]しかないだろう、と。

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と言うことで改めて、

 ろっしふみ君、オレは君が[1]を着けて走るところを見てみたい。


以上、一WGP大好きオトコの思い入れ(いや、思い込みか?)一杯の雑文でした。








・・・・とは言え・・・(まだつづく)
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by oretch | 2004-12-28 16:49 | MotoGP

2004年 12月 23日
X'mas期間限定トップイメージ変更
トップイメージを、X'mas期間限定イメージに変更しました。

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追記:背景も替えてみました。
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by oretch | 2004-12-23 23:56 | スキン編集

2004年 12月 22日
【MotoGP】ナンバーの話その2
(ゼッケン・ナンバーの話しの続き)

チャンピオンには、チャンピオン・ナンバーの[1]をつけてもらいたい。

なぜか?

その前に、そもそも固定ナンバーについて考えてみる。
本質的には、固定ナンバーってどーなのヨ?という問題だと思うから。

そもそもゼッケン・ナンバーは、前年ランキング順位のナンバーを着けるのが基本。新規エントリーや前年ランキングが無い場合に、エントリー順に空いているナンバーを選んで着けるものだった。前年ランキングがあっても、上位ナンバーに空きが出た場合にそれを詰めたり、自分より下位のランキングで空いているナンバーがあれば、そのナンバーをつけても良い、ということだったと思う。
#この辺詳しい方がいらっしゃれば教えて下さい

そうした制度の枠内で毎年同じナンバーを押さえていたライダーが、固定ナンバーのライダーとして認知されていた。

80年代、90年代にもシーンやシュワンツのような固定ナンバー派がいたから、固定ナンバー・ライダーの登場は、そう最近ということでもないのだけれど、それが主流になったのはここ数年なのは間違いない。

そこで、前年ランキングに従ったナンバーを着けたライダーと、固定ナンバーを着けたライダーの数のここ10年間の推移を調べてみた。

[調査方法]

前年ランキングがあるライダーを対象として、前年ランキングと同じナンバーを着けたライダーと、異なるナンバーを付けたライダーの数をカウント。
2年連続してランキングと関係無く(前年ランキング無しも含む)同じナンバーを着けたライダーを固定ナンバーのライダーとしてカウントした。
なお、固定ナンバーのライダーで、ランキングが偶然ナンバーと同じになった場合は、固定ナンバーとして認知されて以降の場合は固定ナンバーを着けたライダーとしてカウントした。

[結果]
 
左=前年ランキング・ナンバーのライダー数
右=固定ナンバーのライダー数

1995年  9 :  4
1996年  7 :  4
1997年 11 :  2
1998年  7 :  4
1999年  8 :  7
2000年  6 :  8
2001年  5 :  6
2002年  1 : 11
2003年  1 : 15
2004年  0 : 20

1995、1996年は、シュワンツ以外の固定ナンバー派は皆プライベータだったので、実質的にはシュワンツ一人だけが固定ナンバーで、他のライダーは前年ランキング・ナンバーを着けるのが基本だった。

それが2000年を境に逆転し、2004年にはとうとうランキング・ナンバーを着けたライダーは「0」になった。ちなみに、2002年と2003年のランキング・ナンバーのライダー数「1」は、いずれもバロス。2000年は前年ランキングに従い[10]を着けたが、2000年以降3年連続ランキング4位だったので、さて[4]を着けているのは前年ランキングに従ってなのか固定していたのか判定が難しかったので、取り敢えずランキング・ナンバー派としてカウントした。従って実質的には、2002年の時点で前年ランキングのナンバーを着けたライダーは「0」になっていたと言える。

ここ数年、固定ナンバーが増えたなぁ、とは思っていたが、なんのことはない、
みんな固定ナンバーになっていたのだ。

ここまで来ると、「前年ランキング順位のナンバーを着ける」というレギューレーションがもはや無くなっているのでは?と疑問が湧く。

で、FIMのWebサイトでレギュレーションを調べてみた。

「SPORTING REGULATIONS」の「1.12 STARTING NUMBERS」によれば、ゼッケン・ナンバー(レギュレーションでは「スターティング・ナンバー」と言うのね)は、基本的に前年のチャンピオンシップの成績、つまりランキングに従う、と書いてある。
#「In General」とか「or in other similar events.」という部分が、固定ナンバーの根拠らしい。

う~む、やっぱり固定ナンバーはあくまで例外扱いなのね。
みんな固定ナンバー化してしまった今でも。

さて、いよいよ本題である。

(まだつづく)



2000年以降の成績を見てみると、[3]を着けているビアッジはランキング3位が3回、[4]と着けているバロスはランキング4位が4回・・・

もう変えた方がよろしいかと。

#[6]を着けているタマダは2004年はランキング6位。来年は・・・



WGPファンにだけ分かるトリビア。

K.シュワンツが現役中にもかかわらず、K.シュワンツ以外に500ccクラスで[34]を着けたことのあるライダーがいる。

フランスのBruno BONHUILです。BONHUILが[34]を着けたのは1994年。
そう。K.シュワンツがチャンピオン・ナンバー[1]を着けて、
唯一「34」を着けなかった年のことデシタ。
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by oretch | 2004-12-22 18:09 | MotoGP

2004年 12月 21日
【MotoGP】ゼッケンナンバーの話 その1
結局来年もロッシは「46」でエントリーか・・・

motogp.com : FIM announcement: 2005 Provisional Entry List 2004.12.18

今年も本音では、ヤマハはロッシに「1」をつけて欲しかったろうに、名より実を取ってロッシに「46」を付けさせた時点で、もうヤマハはロッシの首に鈴は付けられないんだろうね。

ロッシは果たしてゼッケン1をつけるのか?
その点に注目したのは、2002年に続いて今年で2度目だ。

ロッシは125cc、250ccでチャンピオンになった翌年、それぞれ250cc、500ccへとステップアップしてきたので、それまではゼッケン1を着ける機会がそもそも無かった。それがとうとう、もうその上が無い最高峰クラスでも王者になって、さて翌年はゼッケン・ナンバーをどうするのかな・・・?と思ったのが2002年。確か当時の雑誌やらネット上でも多少話題になっていたと思う。結果は、チャンピオン・ナンバーである「1」を着けず、引き続き「46」を使うことに。

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チャンピオン獲得直後は記念に「1」を着けていたけど・・・
逆さまになってるのは、翌年「46」を着ける予兆だったのか?


それまでエントリー届出順に与えられていたゼッケン・ナンバーが、前年のランキングに従って着けるようになったのは何年ごろか調べてみた。正確には分からなかったけど、記録を調べてみると、どうやら早くても1975年かららしい。
※1974年のネイションズ(現イタリア)GPで前年王者のP.リードがゼッケン3を着けて走っている

それ以降ロッシ以前まで、チャンピオンは必ず翌年、チャンピオン・ナンバー「1」をつけて走ってきた。ただ一人、「7」がトレードマークだった故バリー・シーンを除いて。ゼッケン・ナンバー「7」は、ヘルメットのドナルド・ダックとともに“不死鳥”バリーのトレードマークだった。1976年に初タイトルを獲った翌1977年も、連覇したそのまた翌1978年も、FIMに文句を言われながらもゼッケン「7」をつけて走った。

その後、ロバーツ、スペンサー、ローソン、ガードナー、レイニーなど、何人もチャンピオンが生まれたが、みなチャンピオンを獲った翌年は、チャンピオン・ナンバー「1」をつけて走った。

そうそう、チャンピオン・ナンバーを着けるかどうか注目されたのは、実はロッシが初めてじゃなかった。1993年のチャンピオン、K.シュワンツの時もそうだった。

シュワンツはB.シーンのアドバイスもあって、WGPにデビューした1986年以降ずっとAMA時代の「34」をつけていた。当時固定ナンバーをつけているライダーは他にいなかったから、「34」はシュワンツのナンバーとしてすぐに認知されたように思う。

果たしてシュワンツは、チャンピオンになった翌1994年、「34」ではなく、チャンピオン・ナンバー「1」をつけて走った。

ということで、「1」をつけないで走ったチャンピオンは、シーンに続いてロッシが2人目ということになる。

さて、前年チャンピオンが「1」をつけないことについて、オレッチはどう思うかというと、正直なところ、反対です。やっぱりチャンピオンには、チャンピオン・ナンバー「1」をつけてもらいたい。

(つづく)
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by oretch | 2004-12-21 12:27 | MotoGP

2004年 12月 20日
フジガスはニッポンの誉れ!
このニュースを目にしたら、やっぱりどうしても思い出してしまった。

我等がトーチュー : 藤波に最優秀選手賞 2004.12.16

日本人初のトライアル・ワールド・チャンピオン獲得の偉業を達成したフジガスが、
東京運動記者クラブのモータースポーツ分科会の2004年最優秀選手賞を受賞した。
当然の受賞でしょう。オメデトウ!

優秀賞には、2輪4輪それぞれの最高峰クラスで活躍した
玉田誠(MotoGP2勝)と、佐藤琢磨(F1表彰台)が選ばれた。
来年は玉田も佐藤も今年以上の活躍が期待されている。
どちらが先に最優秀賞を獲得するかとても楽しみだ。

と言っても、タクマは既に2001年に最優秀賞を受賞している。
この年タクマは、イギリスF3でシリーズ・チャンピオンになった。
イギリスF3の過去のチャンピオン・リストには、
A.セナやM.ハッキネンといったビッグネームが名前を連ねている。
ローカル選手権のチャンピオンとは言え、最優秀賞に相応しい業績だ。

だけど最優秀賞をめぐって、タクマには強力なライバルがいた。
同じ年、年間最多勝記録をマークして
WGP250ccクラスのワールド・チャンピオンになった加藤大治郎だ。
イギリスF3チャンピオンとWGP250ccクラスのワールド・チャンピオン。
どちらがMVPに相応しいか、記者クラブ内は大激論になったらしい。

当時の舞台裏が記録されている記事がある。
元記事がいつ削除されるか分からないのでここに引いておきます。

「加藤選手が250CCクラスで総合王座を獲得した01年、東京運動記者クラブ・モータースポーツ分科会は「優秀選手賞」を贈った。最優秀選手は四輪の英国F3選手権で総合優勝を果たした佐藤琢磨だった。どちらの功績が上か判断が難しく、近年にない議論が続いた。決め手となったのは、ある記者の一言だった。「大ちゃんはMotoGPクラスで優勝してからMVPをあげればいいんじゃないの?」。不思議と納得した。大治郎は近いうちに世界の頂点に立つ。だれもがそう確信していたからだ。いや確信以上のものだった。将来、彼は必ず世界一速い男になると分かっていた、という気持ちだった。
今は笑顔しか思い出せない。少年が格好つけて少し照れたような、人懐っこい笑顔。文句なしのMVPを取ってほしかった。それを手渡すときの笑顔が見たかった。」
(日刊スポーツ 2003.4.20)


日付のとおり、あの時、大治郎の追悼のために書かれた
数多くの記事の中の一つの、そのまた一節です。

フジガス受賞のニュースを目にした時、
この賞は、ダイジローのために“リザーブ”されていたエピソードを知っていたので、
仲の良かったフジガスが受賞したということに何か感慨深い想いがした。

だけど、このニュースで何より素晴らしいと思ったのは、
MotoGP2勝のタマダや、2001年以上の活躍をしたタクマを差し置いて、
それらを更に上回る偉業を成し遂げたフジガスが受賞したこと。

このことは、日本のモータースポーツ界のレベルが
途切れることなく向上し続けていることを示していると思う。
モータースポーツファンとしてとても嬉しい。

日本のモータスポーツ界の未来は明るい!



2001年のエピソードの記憶があったのだけれど、元記事探しに思いのほか手間取った。
この元記事は残っていたので良かったものの、
新聞社なんかでも古い記事を結構バンバン削除している。
Webコンテンツを運営している企業や組織の人たちには、
もう少し“共有財産としてのアーカイビング”という認識を持ってもらいたいなぁ、と。
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by oretch | 2004-12-20 23:39 | モータースポーツ