タミヤから1/12スケール・オートバイ・シリーズの最新作、1990年型ホンダNSR250清水雅弘車がリリースされた。味の素TERRAカラーのマシンだ。懐かし過ぎる! なぜ今ごろ? と思ったけど、そう言えばタミヤは最近、古いモデルのデカール違いバージョンをいくつもリリースしてたっけ。NSR250も、すでにカップヌードル・カラーの青木ノブ車がリリース済みだったしね。 タミヤにとっては、資産を再活用した割のいい商売なんだろう。そう思うとなんだか癪な気もするけど、それでもやっぱり商品化は嬉しいね。 Photo © TAMIYA, INC. タミヤのサイトの賞品説明は以下の通り。 「1986年から2002年まで、2輪ロードレース世界選手権250ccクラスを席巻したHondaのワークスマシンNSR250。この間、2度の4連勝を含めメーカータイトルを11回獲得し、5名のワールドチャンピオンを輩出しました。多くのライダーが活躍を見せた中、日本人ライダーの清水雅広選手を忘れるわけにはいきません。」 今まで忘れたようにシカトしてたくせに 「1987年、圧倒的な強さを見せて全日本ロードレース選手権国際A級250ccクラスのチャンピオンを獲得。翌88年から92年までは世界GPに挑戦。90年のイギリスGPで2位に入賞するなど健闘し、チャンピオンにはとどかなかったものの、その後大躍進を見せる日本人ライダーの先駆けとなったのです。」 そう、90年代に入って遂に大ブレイクした日の丸ライダー隊の、まさに先駆けになったのが、このテラ・カラーのNSR250を駆って大活躍した清水雅弘選手だった。 70年代に片山敬済選手が大暴れして日本人初のタイトルを獲得し、80年代後半に入ると、満を持して日本のエース、平忠彦、八代俊二両選手が世界に打って出た。ところが思いほか苦戦して、やっぱり世界との距離はまだまだ大きいなぁ、と溜息をつきかけた時に、「諦めるのはまだ早い」とばかりに活躍し始めたのが、125ccクラスのチーム竹島と、そしてこの清水雅弘選手だった。 清水選手は1987年の全日本250ccクラスで圧倒的な強さを発揮して早々にチャンピオンを獲得すると、WGPシーズン終盤戦の南米ラウンドにスポット参戦。ブラジルGPでいきなり3位表彰台を獲得する。そして翌88年からWGPにフル参戦を開始。この年から92年を最後に引退するまでの5年間、世界のトップライダーの1人として活躍した。 残念ながら結局1度も優勝することはできなかったけど(89年チェコGPは1/1000秒差で2位!)、A.Mang、S.Pons、L.Cadaloraといった世界の名だたるトップライダー達を相手に孤軍奮闘の活躍をする清水選手は、オレッチら当時のWGPファンにとって紛れも無く最高にかっこいいヒーローだった。 銀縁メガネをかけて色白で、俳優の国広富之にも似た繊細なルックス(つまりイケメンということ)からは想像もできないようなアグレッシブで果敢なライディングは、当時大人気だったレーサーレプリカ、2ストNSR250に乗る世のバイク小僧達の憧れだった。 その後、清水選手は表彰台9回、PP1回、最高ランキング5位という成績を残して92年に引退するわけだけど、その前年91年はノビー上田が125ccクラスで頭角を現し、翌93年は原田哲也が日本人初の250ccクラス王座を獲得して日の丸ライダー隊の大ブレイクが始まった年。 今にして思えば、80年代後半に一旦は萎みかけた日本人ライダーのWGP挑戦の火を、絶やすことなく90年代のあの大ブレイクまで繋いでくれたのは清水選手だったように思う。 そう言えば、先日買ってきた「RIDING SPORT」300号記念特別号に、清水選手の当時の記事が載ってたなぁ。 タイトルは「羽ばたきのシルバーペガサス」。 うん、そうそう、オレッチの印象に一番強く残っている清水選手の姿は、あの白銀のマシンとライディング・スーツ。黄色や赤や緑色に塗られたカラフルなライバル達の中で白銀のマシンを駆る清水選手は、まさにペガサスのように凛として鮮烈な印象をオレッチ達に残してくれた。 よっしゃ、今度の休みにでもプラモ買いに行くか! 3年前に作り始めたNS500とYZR500がまだ完成してないと言うのに・・・・ 清水サンは、現在はレースを完全に引退されて、自然素材を得意とするハウスビルダーをご経営されている。珪藻土や無垢材などを使用した、心地の良い住まい作りを得意としているみたい。 建売ではなく、土地を買って、一からマイホーム作りにチャレンジしてみたいという方は是非! 清水サンの会社のHPはこちら(↓)。ホームページでは、現在の清水サンのお元気そうな姿もチラっと拝見することができる。 清水建築工房 : http://www.sk2b.jp/ 実はオレッチも、清水サンにマイホームの設計・施工をお願いしようかと真剣に考えたことがあった。 でも、「昔、WGPで戦っていたお姿に憧れてました~」なんていう客が来たら清水サンも困っちゃうだろうし(*)、清水サンの会社(神奈川県茅ヶ崎)からオレッチが家を建てる土地まではかなり遠いので諦めました(泣) * ホームページのコンテンツ「社長の独り言」の中に「今さらあまり言いたくないのですが、実は私、86年から6年の間、ホンダのワークスレーサーとして世界グランプリで世界中を転戦していました。」という書き出しで始まる回がある。今はもう、あまりレーサー時代を振り返りたくは無いみたい。それだけ今が充実してるってことなんだろうね。 清水雅弘サンと一緒に思い出すのは、チームメイトだった小林大サン。1987年、20数年ぶりに開催された日本GP250ccクラスでの優勝は当時衝撃だった。 小林サンは引退後、清水サンと同じく2輪レース界から離れて民間ヘリコプター会社でパイロットとして活躍していたけど、1年ほど前に墜落事故を起こして書類送検されていた。 五体満足、無事引退された後だっただけに、墜落事故のニュースは結構ショックだったんだけど、その後はどうされたんだろう。とっても気掛かり・・・・・
by oretch
| 2007-11-29 00:15
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